連休明けに明るく仕事をするために、私が心掛けていること。

今年のゴールデンウィークはとっても長い、私は月曜日と金曜日に休みを取って8連休だ。

1年間でこんなに長い連休を過ごせることがあっただろうか?子供の時ぶりの少し早い夏休みの気分だ。

長い休みともなると、やりたいことも遊びたいこともたくさん、何でもできる。

社会から切り離されたこの連休で、連休明けに向けて、私生活をより充実させて迎えようと私は決めた。

 

連休1日目、洗濯物に明け暮れる。

衣替えをしながら、仕事に使える服を新調する気持ちも湧いてきて、連休後半はショッピングへ行こうと決めた。

連休2日目、トイレやお風呂場、洗面台、台所の掃除。

なんで休みの日にならないとやる気が出ないのかはわからないが、きれいになる心地良さは、やった後にとても感じる。休みっていいなぁと、ちょっとした疲れを感じながら、少しずつ私生活の充実も感じた。

連休3日目、ゴミ出しをしつつ、趣味のものを整理する。

たまに職場のメールをチェックしつつ趣味を嗜みながら、趣味のものをきれいに整頓していく。

趣味のものに混じって仕事で受けた研修の資料や写真、書類等が出てくると、ついつい読み直して、こんな勉強もしたなぁ、とっておくと場所に困るなぁと、私生活に仕事を持ち込みたくないと思いつつ、後々読み返すと勉強になるからと持ち込んだものと睨めっこをしつつ、時間が早々と流れていく。

 

この3日間、私生活の充実のためにいろいろな掃除をしてきたが、一度でも仕事のことを考えると不思議なもので、掃除を放り出して仕事をしたくなる。

仕事といっても、職場に赴かなければできないことが多い仕事なので、仕事がしたいと言っても職場に行く気力は無い。

きっと私は掃除に飽きて他の事をしたくなったのだ。

普段週5日は仕事に明け暮れている中で、疲れて帰ってくる私は家事なんて全然できたものじゃない。

普段の積み重ねが連休に押し寄せてきている事はとてもよくわかっているはずなのに、放棄したいと言うのは完全な逃げである。

長い休みと言うのは、何でもできる反面、やらなければいけないことを継続してできるかが問われる。

子供の時は夏休みの宿題はいつも後回しの方だった、社会に出ても、家事も夏休みの宿題と同じだ。

今思えば、夏休みの宿題を先に終わらせるか、後回しにして焦るかは、仕事にも現れてくる。

大抵新人に「夏休みの宿題っていつやってた?」と聞けば、その新人の仕事具合がよくわかることが経験でわかった。

夏休みの宿題は、私にとっては家事だが、連休中に家事が終わらなかったからといって困る事は特にない。

なので家事を除けば、連休は楽しみでしかないのだ。

このご時世で遊びに行く事はめっきり減ってしまったが、毎日の習慣がだらけてしまうという事は、私の生活リズムを崩すには充分だった。

連休明けの仕事と言うのは、生活リズムが乱れたことにより朝起きるのがかなり辛い。

会社に勤めて5年ほどは、連休最終日は決まって眠れなくなった。

連休前にしていたミスを指摘されたらどうしよう、のんびり過ごしたことで、空気が緩み仕事のペースを落として指摘されたらどうしようなど、悪いことばかりが頭を巡る。

上司はいつも何の仕事しているのかよくわからないが、人のミスはとても指摘したがる人が多く、私は笑顔を作りつつ内面では暴言を吐いていることが多い。

いつもどういう風に仕事をしていたか、何を心掛けていたか、私が仕事にかける情熱はそれほどでもないと言うことが私の記憶でよくわかる、あまり記憶にないのだ。

かといって仕事を適当にしているわけではなく、責任を持って仕事をしているし、この職業が嫌いなわけではない。

自分の立場が新人とも言えず、ベテランとも言えず、曖昧な立場がもどかしいことが憂鬱な原因でもあるのだ。

仕事が始まれば、前夜に抱えていた不安等はどこかに吹き飛んで、仕事って楽しいなぁと思う毎日を迎える。

毎年この連休はそのループである。

そんなループも今はなく、生活リズムが乱れないように過ごすことを、連休後半には心掛け早寝早起きをするようになった。

早起きをし、眠くても1日耐えて過ごし、早めに眠る。

2日間はそれをすることで大分連休明けのコンディションが違う。

睡眠をしっかり取る取らないは、仕事に大きく影響するため、社会人になり責任を持って仕事するということを、十分に理解し心掛けなければいけないことだと思う。

そして、前夜に抱える不安を軽減させるために、ある日気づいたことがあった。

6月になれば勤勉手当が出ることを思い出したのだ。

未来へ続く嬉しい目標は、自分の生きる糧となる。

勤勉手当が出れば、連休とは別の意味で何でもできる、ちょっとした贅沢や心の余裕、今まで頑張ってきたことをお金にしてもらえるのだ。

このご時世でライブ等はほぼなく、娯楽にあまり期待できない今、連休明けに楽しみにできることなど、私には勤勉手当しかないのだ。

こんなことを考えて連休を過ごしているのは、きっと私だけだろう。

それでも未来の楽しみは、私にとって原動力であり、日々を楽しくさせる特別なイベントのようなものなのだ。

ゴールデンウィークを難しく考えた事は1度もないが、終わりを迎えてしまう悲しさや始まる苦痛を乗り越えるためには、個々に工夫が必要な人もいれば、何気なく乗り切ってしまう人もいる。

がんばれる理由を作らなくても、連休を乗り越えられるようになれればいいなと、私自身思っています。

早く娯楽に溢れた世の中で、友人たちと楽しい日々を過ごしたいと願っています。